地域を象徴する『佐賀県遺産』 /当時の生活・風習伝える /自治体、住民が保存活用に取り組み
2020年01月01日(水)
特集記事
その他
佐賀県内には、重要文化財(建造物)を12件、登録有形文化財(同)を107件有している。また県独自の制度として、文化的に高い価値を持ち地域を象徴する建造物などを「佐賀県遺産」として登録している。これらの建造物は、当時の生活・風習を現代に伝え、観光施設や地域住民による文化交流の場としても活用されている。
■旧古賀銀行(佐賀市)
旧古賀銀行は、両替商の古賀善平が明治18年に設立した。明治22年に古賀銀行内に佐賀第七十二国立銀行を設立、明治31年に両銀行が合併し、㈱佐賀銀行と改称。明治39年に本店を新築した。大正2年に増資を行って再び古賀銀行と改称し、本店の大増築を経て九州の五大銀行の1つに数えられるまでに発展した。しかし、炭鉱経営の不振により、大正15年に休業し昭和8年に解散した。その後、佐賀商業会議所や佐賀県労働会館として利用されてきた。
創建後に数度にわたって建物の用途が変わった旧古賀銀行。そのため、建物内に改造の歴史を残している。石造りの帯を巡らしたれんがタイル張りという形式で建物の表面を飾っており、都市機能の一端を担う銀行建築として、近代の建築様式が中央から地方へと広がっていく過程を知るうえで貴重な歴史遺産となっている。
現在は、施設内の一部スペースを喫茶店が使用している。また、館内ホールでは不定期でコンサートなどが開催。佐賀市柳町地区で例年2月から3月に開かれる「佐賀城下ひなまつり」では、実行委員会によりひな人形などが展示され観光客でにぎわいを見せる。
■旧古賀家(佐賀市)
旧古賀銀行の初代頭取である古賀善平の住居で、銀行本店の東隣に立地。江戸時代より、古賀家は現在の佐賀市柳町に屋敷を構えており、明治17年に旧古賀家を建てた。
町屋でありながら、武家屋敷の様相も見られるのが特徴。建物周辺は、白しっくい仕上げの門と塀で囲まれている。黒しっくい仕上げの玄関や西側のれんが塀は大正時代に改築されたと推定されている。表座敷の床構えは当時の特色がよく表れており、土蔵造の厨房と付属の座敷も同時期に建てられた。座敷をはじめ住宅の主要部分が残存し、本格的な屋敷構えは、明治時代における住宅遺構として歴史的価値を有している。
施設内では、市民団体により展示会などのイベントが催されている。佐賀城下ひなまつりでは、旧古賀銀行と同じく展示スペースとして活用され、鍋島家が裃に使用していた伝統的紋様である「鍋島小紋」のひな人形が展示される。
■旧唐津銀行本店(唐津市)
明治時代中期以降、唐津では石炭産業の発達と鉄道の敷設により、近代化が推し進められた。旧唐津銀行本店は、市民生活や産業界を財政面で支える金融機関として実業家の大島小太郎が設立。唐津の近代化を象徴する建物となった。
設計を行った田中実は、辰野金吾の愛弟子であった。創始者の大島と藩校の同級生であった辰野が設計を田中に任せ、自らは監修として関わったといわれている。
外壁は、赤れんが調タイルと白御影石とのコントラスト、アーチ窓、御影石バルコニーや、歯飾付き銅板製の三角屏風など辰野設計の特徴が表れている。各室に設けられた暖炉は燃料に石炭を用いて、地域産業を背景としたものと考えられる。
平成9年まで金融機関として利用され続け、同年に㈱佐賀銀行より唐津市に寄贈された。平成14年に唐津市指定重要文化財に指定。平成20年から23年にかけて保存・活用工事が行われ、リニューアルオープンされた。
施設内では、旧唐津銀行の歴史と文化、および近代唐津の歴史を紹介する常設展示が行われている。コンサートなどのイベントも実施されており、まちなか観光の拠点施設として利用されている。
■前田家住宅(伊万里市)
伊万里郷の大庄屋を代々務めた前田家。屋敷地は南北に細長く、約1000坪ある。
主屋は屋敷地の中央に位置し、1784年の建立と推定されている。木造平屋建てで、屋根は茅葺。南を正面とした多間取りの平面で、西側に五間幅に奥行7間の土間を取る。上から見ると、くど(かまど)の形をしていることから「くど造り」と呼ばれる佐賀県の民家を特徴づける建築様式となっている。
東の蔵は江戸時代後期、西の蔵・北の蔵は明治時代後期に建てられた。江戸時代後期に建てられた水車小屋は、明治時代後期に改造されている。
市民ボランティアの協力を得て、補修や所蔵資料の基礎調査が行われている。
■【重要文化財】旧高取邸(唐津市)
旧高取邸は、杵島炭鉱などの炭鉱主として知られる高取伊好(たかとり・これよし)の邸宅。唐津城本丸の西南の海岸沿い、約2300坪の広大な敷地に大きく2棟の建物が建っている。
平成6年から平成7年にかけて行われた国の近代和風建築総合調査でその重要性が確認され、平成10年12月に国の重要文化財の指定を受けた。
邸宅は、伊好が自宅兼迎賓のために明治38年に建設。大広間棟にある板敷きの能舞台、植物の浮き彫りや型抜きの動物を施した欄間、杉板戸の絵など邸宅内の装飾は和風を基調としている。加えて、洋館を設けるなど和洋の意匠を融合させ、近代建築を代表するものとなっている。
玄関が3つあり、来賓用、主人用と家族用として利用されていた。風呂も、家族用と使用人用と別々に備えていた。外にはワインセラーの建物もあり、当時の豪商としての繁栄を示している。
藤、山桜や垂れ桜が描かれた29種類72枚の杉戸絵は京都四条派の絵師である水野香圃がおよそ半年滞在して描いたといわれている。
平成13年から17年度にかけて文化庁の指導のもと修復・復元工事を実施。建築規模が最大であった昭和初期の状態に復元された。
■旧犬塚家住宅(伊万里市)
旧犬塚家住宅は、東西に延びた江戸時代の旧道に面して建てられている。この通りは当時の主要交通路であり、多くの陶器商家が軒を連ねていた。
旧犬塚家住宅は、江戸時代後期の1825年に建設。屋根は切妻の本瓦葺きで、棟は南北へ直線につくられている。
外観は妻入白壁土蔵造二階建てで、商家建築の特色が伺える。建物は間口三間(実寸5・52㍍)、奥行き八間(約12・8㍍)。
一階の土間が表から裏に抜けており、通り庭形式になっている。店舗に使用した板の間が二間、西側に神棚と箱階段を備え、奥に畳の間が二間ある。2階は、陶磁器を買い求めに来た商人たちが、商品の完成まで滞在する客間として利用された。南側に十畳の座敷と五畳の次の間、北側に八畳の間を有する。北側の板の間は床が一段高く、吹き抜けから荷を2階に上げていた。全体に押入れなどの収納スペースが多く、狭い敷地を有効に活用するための工夫が見られる。
当時の陶器商人の暮らしぶりが想起され、現存する商家建築物として建築学的な価値を有している。